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事業における分岐点があったときに、どういう判断をするか?

今日一日の中で「具体的に判断する事象」に自分自身が向き合うタイミングがあったので、そこで自分の中で起きた変化を観察してみました。

ものすごく単純化して言ってしまえば「短期」と「中長期」の両方の収益を最大化すること、を達成しようとする、と言えます。

「短期」と「中長期」の収益最大化

「短期」の収益の最大化は、単価と数量を上げることに尽きます。満足される品質のものが提供できる範囲で、限界まで単価と数量を増やすこと。
組織マトリクスで言えば、パッケージに寄っているほど「数量」を増やすこと、オリジナルに寄っているほど「単価」を上げることがゴールになっていきます。(もちろんその中で落とし所を見つけに行く)

一方で、「中長期」の収益の最大化は、考えることが増えます。敢えてざっくり分けるとすれば、「品質保持」と「再現可能な仕組み」、であり、大きく括ってしまえば前者の「品質保持」だけ。

一般的に、「数量」を増やすことは、同じ水準の品質を提供することを難しくします。短期の収益のために「数量」を増やしすぎると、顧客が満足できる品質が保持できなくなります。
また、「単価」を上げることは、顧客の期待する水準を自ら高めることにつながります。その高くなった水準に満たない品質しかなかったら、やっぱり顧客は満足できない。

短期:「単価」「数量」のup
中長期:「単価」「数量」の高騰の抑制
を両面から考えて、落とし所を見つける作業をしている、とも言えます。

この作業は、小さな変数が一つ加わっただけでもガラッと変わります。「上の言っていることがコロコロ変わる」みたいな話をよく聞くけど、頭のなかでこういう微妙な連立方程式を説いていることを説明しきれていない、というケースもある気がします。

やりたいか?は同じ式の中で扱われる

では、この中で「その仕事やりたい?」という問いはどう扱われるのか。無一見すると無関係にも見えます。

私自身のスタンスで言えば、「やりたい」という変数は、実現可能性を考える上でとても大事だと思っています。
やりたくないものを「KPI設計」「目標管理制度」などの仕組みでゴリゴリ回そうとしても、長い目で見ればそこにいる人が持ちません。
金銭的なインセンティブが「やりたい」を代替することはありえるし、人の側が一定期間で入れ替わる前提で仕組みを考えるのであれば、持続可能ではあります(けど個人的に好きなスタイルではない)。

世の中の大きなトレンドで考えたときに、「目標」によって「管理」する、というヒエラルキー的なマネジメント手法自体が制度疲労を起こしてきています。
新しいスタイルでは、事業と組織の両方のゴールとシナリオを有機的に連動させてデザインするか、もしくは最初から全てを自律分散的な動きに委ねる、というどちらかの方向性に落ち着くのではないかと思います。


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